カバー画像を変更しました。

今年に入ってますます思いを強くしているのが、「カタリスト型」企業コーチ、という「巻き込む・つなげる」要素の部分です。

新年にあたって目標は「巻」という字を考えました。

最近は年齢的にそうなっているのか「導かれている」ということをよく感じることがあります。


昨年はなぜかふと「哲学」に原点回帰しました。

(学生時代は人はどのように生まれてなんのために生きて死ぬのか?このことが知りたい探究心から哲学や思想史を学んでいた)

東洋思想経由で仏教にたどり着き、そこから密教の研究を少しする中で「空海」と「最澄」も避けては通れないので少し深堀りしていたら、そこでの時代背景から言靈(ことだま)という概念が日本に普通にあったということがあらためて興味深いことだと感じ入り、(もともと知識として知ってはいたけど深堀りするまでではなかった)50音の意味を書き出して覚えては、日常の日本語をまたさらに暗号解読のように分解して意味を反芻した後に、もう一度その言葉を見たり言葉に出してみると今までとは全く違う印象を受けることに氣づいたので、今までの私は50年間、どうして「音」を見過ごしていたのだろう?と大きな衝撃を受けた昨年の後半。


当然のように自分の名前の音を分解してみると、

ヒ→太陽:オンリーワンでナンバーワン

カ→刀:切れ味鋭い感性と直感・行動力

ル→巻き込む:社交的で人を巻き込む・向上心

というような意味があることがわかりました(かなり意訳です)。


「ヒ」と「カ」に関しては、もう十分に自覚して能力開発してきた自負はあるけれど、「ル」の巻き込むに関しては、自分の中では面倒だなあと思って(←自分の負担が増えることが自分の時間がなくなるので面倒だと思ってしまっていた過去の自分)今までは「社交的である」ことをわりと封印して自分の世界にこもることが多かったのを、変えようと思って受け入れることを増やしてみたら、有り難いことに最近とても流れがいいなと思もうので、2022年は自分のもともとの資質であるはずの「巻き込む」をもうちょっと追求してみようと考えています。

そんなところで、カバーのタイトルのキャッチがふと浮かんできたのでちょっと作り変えてみました。


そんなこんなをなぜ「導かれている」と思ったのか?というと、いろんな伏線が今までにあったことがわかったからです。

例えば、一昨年の11月は10年習ったお茶で師範である最終免状をいただくことができ、昨年はますます「茶の湯」に精進した1年だった。

→茶の発祥は「禅」であったことを、またあらためて再認識。

→よくよく考えれば「禅」の考えが好きで、禅関連の書物ももともとよく読んでいて、デザインも禅の考えを取り入れたシンプルデザインのスタイルが好きである。

→シンプルデザインというのは、自分のスロウプラスの屋号にキャッチフレーズとして好んで使っていた言葉で、自分の本質を表すものと自己理解していた。

→「禅」といえば仏教。数ある宗教の中で「仏教」だけは、人の成り立ちの最初から最後までを真剣に考えている「学問」でそれはほぼ「哲学」といえる、ということに気付いたことから、仏教の研究をしてみたいと考えた。

→仏教を学ぶに当たって、空海と最澄の時代背景を調べた時に、真剣に「言葉」の音で魑魅魍魎を退散することができると信じられていた日本人の世界観を空想上で目の当たりにする。

安倍晴明などはそういうことで、日本を護っていたのか?!

見える世界と見えない世界は、信じるか信じないかで自分で作り出すことができるのか?!

とあらためて知った時、量子力学の0ポイントフィールドと仏教宇宙が合致したので、なるほど。

そうなのか!と思った。

→昨年始めた毎日感謝を書く日記「6ミニッツダイアリー」に毎朝『なにに感謝していますか?』という哲学的な問いかけがあるので、そこにふと「ご先祖さまに感謝」という言葉が浮かんできて、私がここに存在していると証明できる唯一のことがあるとするならば、それは私は両親から生まれた子供、ってことだけである、ということだけしかない、ということに納得したので、両親のその両親はどんな人だったのだろう?と先祖に思いを馳せることが増え、毎朝日記に書くたびに、有難いことだ、と感じるようになった。

→先日実家に帰った時に、実家の宗派が「禅宗」であったことを知り、なぜ自分が「禅」が氣になっているのかのルーツがやっと理解できた。


きっとここまで、「氣づくように、氣づくように」となにか大きな力が働いていたんだろうけど、自分がまだ本来の自分らしく生きていなかったかもしれないから、氣がつかなかっただけで、ちゃんと自分らしく生きることで、世の中に貢献せよ、と天が教えてくれているような氣持ちになった。

多分人はこういうのを天啓というんだろうな。


なぜ私が「人の心理」や「哲学」に興味があったのか、なぜ私がわざわざ苦労するような道を自分から選んできたのか?なぜ私には子供がいないのか?なぜいつも教育に関することに関心があるのか?

これらはすべて、導かれていて、だからこそ「コーチング」や「コンサルティング」のような人の強みを活かしてよりよい世の中(幸福度の高い)にしていく手伝いをする使命がちゃんと私にはあったんだろうな、ということをいつも、あれこれときっかけが降って湧いてきて、いつも目の前のことに集中することで、知らずに精進させてもらっている、有り難い環境。

だから「個性」「強み」「楽しむ」「豊かさ」に関するキーワードに素早く反応してその能力を高めるためのツールを得たり、学習したりしている。

自分で考えて選んでいるようでいて、じつは自分の実力にぴったりあったものをいつも目の前にチラつかせてくれているとしたら、この宇宙は、この世界は、とても興味深く知らないことがまた多すぎるので、健康でできるだけ永く人の役にたてる時間を延ばしたい、そしてますます自分だけが持っている特殊な能力を見つけてどんどん開発していって誰か必要な人の役にたてるよう、PRもしていかねばならないな。

今まで面倒だと思って避けてきたことを、今年は色々手をつけていこうと考える、1月の1週目でした。


ヒカル



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