今年最初のお茶の稽古

今日は今年初めてのお茶の稽古でした。

 稽古が終わって、先生から「お点前ばっちりできてますよ。指先まできちんと揃っていて綺麗にできてます。」とお声がけいただいて今年も精進しよう!と思いました。 


私はもともと雑で大雑把でスピード優先、1分1秒を無駄にしたくない30代前半まではファスト業界の申し子でした。

 祖母から大量に着物を譲り受けた30代半ば、着物を着てみたら自分の動きの雑さ大げささに愕然。

 これじゃあ、着物が着崩れるよ、と着物を綺麗に着るために、所作を丁寧にまともな状態にするために始めたお茶で、7年くらいかけてやっと、美しいと言われる形を体で覚えることができるようになってきました。

そういえば、小学生(7歳くらい?)のころ、学校の講堂で剣道の稽古している様子を帰り道にチラリと見てしまって(目線の高さに講堂の床が見える窓があったのよね)、 立ち居振る舞いが美しいなぁ、と思って両親に習いたいって自分で言って剣道を習っていたのですよね。  


所詮小さい頃の素の自分の感性こそ、巡り巡って自分の感性の源でそこから逃げても戻ってくる宿命があるのかな、って最近よく考えます。
しきたりとか伝統とか形ばかりのことを(極めてないと思われる人)から言われるのが苦手で途中、中身中心の効率主義に傾倒したけど、今ならわかる。

 それまで良い師に出会わなかっただけで、必要な時にはちゃんと良い師に巡り合うことができる。


 すぐ必要な人は、小さい頃から良い師に出会えるのだろうし、私みたいなのは一回極限まで外れることで柔軟性も包括できる年になった時に、初心に戻れる和の道に入ることができた。

 素直だった時の感性に近い、みずみずしい気持ちでお稽古に取り組めることに感謝です。


 私の大事にしていることは形の美しさ。 40代以降の形の美しさは中身の美しさの延長でしかない。
 では中身の美しさとは何か? 自分で自分を作っていくという気持ちではないかしら。

自分の選択(何もしないというのもしないことを選択しているということです)に責任を持って結果を受け入れて、じゃあどうする?に日々向き合うこと。
自分から逃げないこと、目をつぶらないこと。 そんな人はそのうち形も美しくなるのではないかな。 優しくなること、許すこと。そういうのは見た目の形に自然と現れると思うのです。


というわけで、今まで以上に自分に向き合う1年にしようと思っています。


ヒカル


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プロセスクリエイター / 企業コーチ / ファシリテーター / ワインソムリエ / 茶道家 福岡を中心に(東京もたまに)活動する、企業の組織デザインを専門に行う企業コーチ:ヤツグヒカル

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