本を消費することの考察に関して

本は自分にとっては一番コストパフォーマンスの良い習得ツールと思っています。

   

最近は動画で学ぶのも流行ってるし、実際自分もたくさん購読しているし手軽でいいんだけど、

   

やはり私は「情報源」としてだけ考えると、ずっと動くものを長時間観てるのが苦手で(情報量がありすぎて想像力を働かせる余地がなくてポイントまで待ってるのが疲れてしまうのかな?)、できたら音声だけとか字を読むほうが好き。

   

でも、ちゃんとした小説や文献や専門書以外は自分にとっては「雑誌」と同じくらい単純に情報源なので、完全に「消費」している感じです。

  

情報源としての役目を果たしたら、もうどうしようもなくなるくらい旬度が短いものも多いのでそういうものは新刊で買って、まだ値崩れしていない時にまた自分でAmazonに出しては、次の本を買う費用にあてています。

  

出版業界の方や著者には本当に申し訳ない行為だと思うんだけど、自分の中では「大事に作られて大事にしたい本や小説」「大事に作られているけど自分には合わない本」「ネットで掲載されていたものを焼きましした類の本」「売れるから作られた消費される本」「なくてはならない専門書」「図鑑の類い」は完全に分類されていて、

「ネットで掲載されていたものを焼きましした類の本」「売れるから作られたと思われる消費される本」のみ出品しています。

  

そんな本は、おそらく私と同じ理由で少しでも安く購入したい人がすぐに購入してくれるようです。

  

梱包とかやりとりとか大変そうやん、マメだね〜、っ言われるけど、本を捨てちゃう行為の方が私にはできなくて、

人にあげればいいやん、と言われるかもしれないけど、実際欲しがるからあげても大体みんな読んでなくて困ってるみたいだから、今旬のうちに本当に読みたいって人に読んでもらったほうがいいのかなー、という苦肉の策。

  

中古の本を売ることに関しては、いつも何かのひっかかりがある。(誰かを不幸にしているかもしれない罪悪感みたいなもの)

じゃあ、図書館や古本屋はどうなの?古着屋さんだって質屋さんだってある。でも微妙。

じゃあ、消費期限が切れた食べ物を捨ててしまう行為はどうなの?

食べ物を残す行為は?

流行りの服を買って流行りが終わって断捨離しているような行為は?

音楽を月額でレンタルしている(購入とさえ言えない)行為は?

あれこれ追求するとキリがなくて動けなくなる、世界中のあれこれのことを思うと自分の信念や行動に矛盾がですぎる。

  

つまり人間は生きているだけで人に貢献できて、生きているだけで地球にとっては害が多い。

   

そんなところまでひっくるめて、自分がどこまで自分の行動を選んで、どこまで選ばないかを決めることしかできないので、結論、持って生まれた才能を生かしてできることを精一杯やる、ということしか選べないというのが自分の考えであり、

孔子の論語のいうところの「七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」の域に早くいっちゃいたいな、というのがもう10代からの私の願いと行動指針なのです。

  

若いのに老成した口をきいてる。

それが自分かなあ。


ヒカル


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コーチ / カタリスト / プロセスクリエイター / ファシリテーター / ワインソムリエ / 茶道家 組織デザイン・チームビルディング専門・カタリスト型 企業コーチ ヤツグヒカル

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